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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 私たち夫婦には子どもがいない。 たとえば、もし塩村都議が60歳だったらこのヤジは起こっただろうか。もちろんそれは起こらない。なぜならそれは、たとえば手足のない人に「お前は障害者なんだから東京オリンピックへの発言権なんてない」と言うのと同じく明らかに相手の人権を侵害するからだ。ところが、塩村都議に向けられたヤジを舛添知事以下、ニヤニヤして誰もとがめないのはなぜ? それはひょっとして、都議が「恋のから騒ぎ」なんかに出ていた、健康なくせに遊んでいたせいで年頃になっても結婚しない自分勝手な女性、くらいの見立てがあるからではないのか? 「生徒が教室の前に出て、発表している場面を思い浮かべてください。そこで、クラスから生徒の人格を否定するような発言があり、みんなが同調して笑っている。そんな状況は、まさに『いじめ』の構図ではないでしょうか。私も指摘されて気づいたのですが・・・」弁護士ドットコム【議会のセクハラヤジは「学校のいじめと同じ」塩村文夏都議が語った「悲しい気持ち」】 塩村都議には、どうして自分が悲しい思いになったのかを、ぜひ自分の言葉で語ってほしい。 PR 「あのねえ、雁屋センセはよくトバすんですよ」 ※図 雁屋哲・作/花咲アキラ・画『美味しんぼ』(『週刊ビッグコミックスピリッツ』〔2014.5.12/19合併号、小学館〕)より 今日、神保町国技館で仕事をしていたらノックの音が。 やおらスーツ姿の女性が入ってきて、 「お忙しいところ恐れ入ります。キャリアデザインセンターから参りました。この地区を担当させていただくことになりましたのでお名刺交換をお願いしております」 と名刺を差し出された。 新卒といった感じ。よどみないセリフだが、少しぎこちない笑顔のなかに研修で無理矢理こさせられた「例のあの感じ」が漂う。こういうタイプは時々回ってくるから慣れっこだ。証券、印刷、コピー、いつもなら「いや、間に合ってますから」などと体よく帰ってもらう事が多い。 しかし今日は少し違う。「キャリアデザインセンター」って何よ? 差し出された名刺に一瞥をくれて、「いや、ちょっとご用件が分からないんですが」と答えると、再び最初と同じセリフがまた繰り返された。私はすぐにでも追い返そうかと少し迷ったが、思い直してこう尋ねた。「うちがどんな商売をしているのか知ってます?」 「……いいえ」 「私もあなたの会社がどんな商売をされているのか知りません。とすると、ここで名刺交換をする必要がどこにあるんですか?」 「……」 もちろん、「名刺を集めてこい」とかなんとか、理不尽折込済みの新人研修なのは想像がつく。彼女は方々で追い返されたり、時には怒鳴られたりしながら、理不尽の中にも何か大切なものをつかみ取るのかもしれない。そもそも名刺集めなんて本当はどうでもいいのかもしれない。送り出した上司だって新人に強い気持ちを持ってもらいたいだけなのかもしれない。でもそれがいきなり無礼な訪問を受ける私たちになんの関係がある? 彼女は短い沈黙の後、「そうです……」と言った。 このとき初めて、少しでもこちらのことを考えてくれたように思えて、「うちは本のデザインの仕事です」と、彼女に私の名刺を渡した。 彼女が帰ったあとで、もらった名刺の社名を検索したら、人材派遣の会社だった(名刺には業種さえ書かれていなかったのです)。HPの「企業理念」にこうある。 「仕事は単なる収入の手段でしょうか? 私たちはそうは思いません。人は仕事を通じて創造力が刺激され、自分を成長させることが出来ます」 こうした礼儀を欠いた研修を自社の新人にばかりか、訪問先にも強いるような会社の理不尽な要求に、彼女をはじめ若い人たちは戸惑っていることだろう。しかし今日、少しでも立ち止まって考えてくれた彼女の理性だか良心だかが、そんな理念なき会社を少しでも刺激し、成長させてくれればいいと願う。
8/5『ヒロコ ウルトラの女神誕生物語』出版記念パーティー
と、いっても一昨日、金曜日のことです。 主役の桜井浩子さんは表舞台と裏方とを両方兼務しているような働きぶり。 途中でウルトラマンとバルタン星人がしっかり登場。さすが円谷プロ。 そういえば小学生の頃は「ペーパーコレクション」シリーズを猛烈に集めていたせいで、 初代から80くらいまではウルトラマンの体の模様を描き分けられたものだったのだが。 アキコ隊員のスピーチにヤジを飛ばすハヤタ隊員も面白かったけれど、 家族的な繋がりが感じられるあたたかな会に自分も参加できたことが少し嬉しかった。 製作過程にはそれなりの困難もあったのだけれど、 こうして多くの人に本が手にとられているのをみると吹き飛んでしまう。 おそらく、本を作るときに「困難」だと自分が感じていることの多くは大したことではないのだろう。 などと殊勝な気持ちを手土産に会場を出て、ライターの大橋さんと飲みに行った先で 引き出物の書籍に桜井さんのサインとプロマイドが入っていることを発見。 今回の仕事で桜井さんには何回も会っているはずなのに、 会場では「桜井さんのサインが欲しい」とモジモジしていた大橋さん。 「あっ!」と叫んだその顔は、「当たり」カードを引いたただの子供のそれであった。
【日曜美術館「思い出を蘇らせる絵画 亡き人と向き合う画家」(Eテレ 7/3 20:00-20:45)】
写実画家・諏訪敦が、娘を事故で亡くした親から、「娘を絵画でよみがえらせてほしい」と依頼される。 最初は資料として娘の写真を取り寄せ、両親を描き写す事のなかから、出会ったことのない人の手がかりを探す。諏訪は時計を外そうとする架空のポーズと暗い表情を描き、「自分はすでに他の生を受け、今も存在している」ことをメーセージとして込めた。 しかし、試作に両親は不満を持つ。諏訪も、両親の気持ちに移ろいと揺れを感じ、とまどうが、ある娘を亡くした経験のある母親の助言で、両親が求めているものは、両親の記憶のなかにある何かではなく、今まで自分たちの知らない何か、なのではと思い至る。 例えばそれは、いままで聞いたことのない娘の想い出を、誰かから聞かされ、『ああ、あの子らしいな』と納得したり、『そんな一面もあったのか』と驚くようなものなのだろう。 依頼から半年を経て仕上がった肖像は、時計を外そうとするポーズを、よりしなやかな、女性的ポーズに替え、表情も明るく穏やかで、涼やかな美しさに仕上がった。両親も思わず娘の名を口にして涙ぐむ…… 仕上がりをみて、それは美しいものだと、まず思った。その制作プロセスも面白かった。しかし、両親が満足したからといって、それが正解だと言えるわけではないのでは、とも思う。 番組の途中で、娘に先立たれた両親は、家にいてもふたり会話がない、と告白するシーンがあった。娘を失った悲しみに加えて、それを夫婦の間ででうまく整理できないやりきれなさが、暗闇のなか、激しく光明を求めているのは明らかで、絵を手にした後にまた薄暗がりへと引き戻されない保証はどこにもない。 もちろん諏訪さんを責めているわけではない。どうしてこうも暗いことを考えたかというと、司会の千住明が「アートというものは、それだけもがいた後には必ず答えが見つかるものだ」といった趣旨のコメントをしたことに憤りを感じたからだ。 もう少し時間をおいて、かの作品に出会った時、そのまた次に見た時にはどう感じるのだろうか。
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